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ジョン・レイ(John Ray、1627年11月29日 - 1705年1月17日)は、イングランドの博物学者で、「イングランド博物学の父」とも呼ばれる。1670年までは姓を "Wray" と綴っていた。その後、自身の家系を調べてかつての本当の綴り方が "Ray" だったことを確かめた上で綴りを替えた〔Gunther, Robert W.T. 1928. ''Further Correspondence of John Ray''. Ray Society, London. p16〕。 植物学、動物学、自然神学などの重要な著作を出版した。『植物誌』(''Historia Plantarum'')での植物の分類は近代分類学への重要な一歩となった。レイは予め考案された二分論的な体系に植物を当てはめていくのではなく、観察に基づいた類似点と相違点に応じて植物を分類した。すなわち、スコラ学の合理主義的推論を排して科学的経験論を促進させた。レイはまた、「種 (species)」という言葉に初めて生物学的定義を与えた〔''Historia plantarum generalis'', in the volume published in 1686, Tome I, Libr. I, Chap. XX, page 40 (Quoted in Mayr, Ernst. 1982. ''The growth of biological thought: diversity, evolution, and inheritance.'' Cambridge, Mass.: Belknap Press: 256)〕。 == 前半生 == エセックス州ブレントリー近郊のブラック・ノットリーに生まれる。父は鍛冶屋だったと言われている。16歳のときケンブリッジ大学に入学し、トリニティ・カレッジとセント・キャサリンズ・カレッジで学ぶ。トリニティ・カレッジでの指導教授は James Duport で、同級生のアイザック・バローとは親友になった。1649年、フェローとなった。カレッジを渡り歩き、ギリシャ語講師 (1651)、数学講師 (1653)、古典文学講師 (1655) を務め、1657年には ''praelector'' と副学部長を務め、1659年と1660年には大学幹事を務めた。また、当時の大学の慣習として、1660年12月23日に上級聖職に就くずっと以前からカレッジ内の礼拝堂でよく説教をしていた。そういった説教は後に ''The wisdom of God manifested in the works of the creation''〔''The wisdom of God manifested in the works of the Creation'' , Google Books〕 や ''Deluge and Dissolution of the World'' にまとめられている。レイは講師としても優秀で、博物学を好む傾向を何人かの学生に受け継がせた。中でもフランシス・ウィラビーが博物学者として知られている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョン・レイ (博物学者)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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